風がふいて [慣用句・いいならわし・ことわざなど]
今日は風が強くてめがさめました。
どんなときにわたしたちは風を意識しますか。
まずは音。物に当たった音。木々の枝や葉を揺さぶる音。原っぱを吹き抜ける空気の通り道などを、その音を聞くだけで感じ取ることができます。
そとにでてみます。頬に感じる風。強さ、温度。私たちはそれに季節をかんじとります。
風はわたしたちに季節の訪れや、自然の驚異や、明日への希望や展望をもたらしてくれもします。空気ですから、流動性や、あやふやなものなどのイメージもありますね。
ながくなりました。『風』に関しての言い習わしなどを少し。
『風の便り』 (かぜのたより)
どこからともなく伝え聞こえるうわさ。
風のように噂はとどくんですね。確信はないけれどもそうらしいということです。
『空吹く風』(そらふくかぜ)
人の話を上の空で聞いているさま。
『大風が吹けば桶屋が喜ぶ』 (おおかぜがふけばおけばがよろこぶ)
大風で砂埃→砂埃で目を傷めて失明の人がふえる。→失明した人は三味線を習う。→三味線が売れると猫の皮が必要。→猫がいなくなるとねずみが増える→ねずみは桶をかじる。桶屋はもうかる。
風がふけば桶屋がもうかるというわけです。
なにごとも風任せ。(かぜまかせ)
こうしてみると、『風』は不確かなものの象徴のように使われていますね。
でも、わたしは風がすきです。
霜降 [気がついたこと]
もうこんな季節になりました。
標高の高いところでは早起きすると地上に霜が降りていることもあるでしょう。
二十四節季のひとつ「霜降」。
これから立冬までの間をこういいますね。
低い気温に、弱い植物は霜にやられて葉を枯らしていきます。
こうした言葉から、冬への心構えが徐々にできていく気がしますね。
これから、風邪の季節。
体を冷やさないように根菜類を摂取して来るべき冬にそなえましょうか。
黄昏 [気がついたこと]
たそがれ…晩秋のちょうど今頃になるとこの言葉が頭を離れなくなります。
その昔は、「酉の刻」とか「暮れ六つ」などと言った時間帯。
日没が早くなってだいぶ経ちまして、黄昏はあっという間に濃い夕闇になってしまいます。
この時期になりますと夕暮れ時の風も冷たくかんじられます。
黄昏は秋の特権でもないのに、とても意識してしまうのです。
まだまだ日は短くなります。
『誰彼時』→「誰そ彼」→「たそかれ」→「黄昏」
暗くて前から来る人が誰かもわからないほど。「誰そ彼?」時というわけなんですね。
日本語はおくが深いのです。
重箱の隅を楊枝でほじくる [慣用句・いいならわし・ことわざなど]
『重箱の隅を楊枝でほじくる』(じゅうばこのすみをようじでほじくる)
こんなことをされたら、されたほうがかないません。
どうでもいいようなくだらないことをあげつらって詮索することですね。
小さなとるにたらないことをあれこれ…
嫁姑の関係も、片方の目をつぶってみるとうまくいくのでしょうか。夫婦でも同じなのでしょう。よく、「男女が一緒になる前は両方の目で相手をよく見ろ。結婚したら片目を瞑って見ろ。」などといいます。
くれぐれも重箱の隅を楊枝でほじくるようなまねはなさらぬように。
人間関係の全てにおいていえるかも知れませんが、仕事ではこうばかり言っていられませんね。
合縁奇縁 [慣用句・いいならわし・ことわざなど]
『合縁奇縁』(あいえんきえん)
人と人の心は不思議なもので、気持ちが合う、そりが合うということがあります。
いろんな人間が数多くいる中で不思議な因縁とも言えます。
元々は仏教語から来ていて「愛縁機縁」としていた。
縁は異なもの味なものと言う類語があります。
さて、これはバーチャルな出会いのブログにもつうじるものでしょうか。ブログは匿名です。それなのに書いている人となりがみえるものですね。いや、そう見えているだけのものかもしれません。ほんとうのところはわからない…のでしょうか。
合縁奇縁。。。と。